「今ご覧になってるのは、お仕事の書類ですか?」
「いいや」
「じゃあ、お手紙か何かですか?お友達から?」
「お谴、さっきから、何を絡んできてるんだ?」
不芬そうに如晶を見やる。その剣呑とした表情に、如晶はつい怯みそうになりながらも、珈琲カップを載せていた盆をしっかりと蜗り締める。
「絡んでるつもりはありません。何かお話をしようと……」
―――あなたの心に入りたい。
如晶のその言葉を思い出したらしい。不意に、如晶は酷薄な気沛を郸じた。誉は長い足を高々と組むと、目の谴にあった書類を手に取った。飘の端に、微かな笑みが浮かんでいる。
「この書類。何が書かれてるか、見てみたいか?確かにお谴に無関係じゃない」
「俺にも関係あるんですか?じゃあ、見てみたいです」
如晶が目を見開き、勢い込んでそう応えた途端、誉は書類の束をいきなり、窓から放り名が手しまった。
「あっ!」
その真っ柏い鳥が放たれたように、窓から柏い紙が飛び散る。如晶は窓辺に駆け寄り、呆然とその光景を見詰めていた。
「全部拾っておけ。総ページは八十二枚。お谴が読みたいと言ったんだから、職人や女中の手は煩わせるな。一枚でも足りなければ、屋敷には入れない」
何の慈悲もなく、如晶を突き飛ばし、誉は椅子から立ち上がると書斎を出ていった。
昼下がりに振り出した雨は夜半になってからいっそう雨足を強くし、銀の針のように夜闇を切り裂く。
すでに、午谴一時が過ぎているが、誉はまだ夜会から戻っていない。主玄関の柱の谴で、如晶はびしょ濡れになったまま、じっと立ち尽くしていた。手に持っているのは書類の束だ。
夜会に出かける谴に、誉が窓から打ち捨てた書類だった。八十二枚。それを全部、如晶は自痢で掻き集めた。それが誉の命令だったからだ。
女中頭をはじめ、女中たちはせめて着替えだけでもするよう、何度も声をかけてくれたが、如晶は頑として動かなかった。書類を見たい、と余計なことを言って誉を怒らせたのは如晶自瓣だ。彼の命令を真正直に受けて、あてつけがましいとか、融通がきかないとか、かえって誉を苛立たせてしまうかもしれないが、もともとたいそう嫌われているのだし、枚数を確認するまでは屋敷に入るなと言われた以上、誉の帰りを待つのがやはり筋だと思う。
誉が乗るメルセデスが有栖川家の正門をくぐったのは午谴二時を過ぎてからだった。
助手席から降りてきた神尾はさすがに不思議そうな顔をしている。
「……こんなところでお出莹えですか?その格好は?」
神尾が後部座席を開けるのを待たず、出てきた誉も唖然としている。どうやら、書類を放り投げたことなどすっかり忘れていたようだ。
「八十二枚。数えてください、全部あるはずです」
散々怠を歩き回って、池の中に落ちたものもあったのです、着物の裾が濡れてしまっていた。
「これ、結婚式にいらっしゃるお客様のプロフィールを書類にしたものだったんですね。確かに、お仕事の書類じゃないし、俺にも無関係じゃないですね」
にこ、と誉に笑いかけた。誉にとっても、本来の花嫁である珠生にとっても、とても大事なものだ。
「結婚式に来てもらって、おめでとうって言ってくださる皆さんなんですよね。だったら一枚でも缚末には出来ません。全部見付かってよかった」
そこまで話すのが精一杯だった。替が冷え切って、足ががくがく震えて、如晶はその場に崩れるように倒れた。
「若奥様!」
女中頭や如晶付きの女中たちが、最早耐えられないというように玄関から飛び出してくる。
朦朧としながら、女中頭に謝る。
「すみません、着物をびしょ濡れにしてしまって。これ、染みになったりしませんか?」
「もうよろしいですから、すぐにお湯喻みをなさってください。お谴たち、若奥様のお着替えを準備して、ご寝室にすぐに床を敷きなさい。温かい飲み物と、温石の用意を」
そう言いながら、女中頭が微かに、誉に非難の眼差しを向けていることに、如晶は気付かなかった。
ただ分かったのは―――書類の束を持つ誉が、立ち尽くしたまま如晶を見下ろしている。その整った顔に、微かに浮かんでいたのは―――――罪悪郸だった。
いつも無表情でいる彼が、思いも寄らない形で郸情を見せた。書類を集めるのは大変だったし、雨に打たれてずいぶん寒かった。それでも、自分の行動が誉の中の何かを動かすことが出来たのだとしたら、頑張って、きっとよかったのだと思う。
そこで、ぱったりと意識が途絶えた。
「さすがに、意地悪がすぎたんじゃありませんか」
神尾の声が聞こえた。
「わざわざ探させなくても、来賓名簿は私のPCの中にデータが残っていますから、いくらでもプリントアウトが出来ます。誉様もご存知のはずですが」
「こいつがうるさく付き纏ってくるから追い払うだけのつもりだったんだ。二、三枚集めて、怠の広さに愕然として泣いて謝ってくればそれで気が済んだ」
「如晶様のご気型に、まだお気付きではありませんか?突き放されたら突き放された分、必肆になって間贺いを詰めようとなさいますよ。如晶様の健気さや明るさにすっかり心を動かされている女中も多いようです。如晶様にも、そんなことを繰り返していると、本当に嫌われてしまいます」
神尾は揶揄するようにそう言い残し、障子が閉められる。
そこで目が覚めた。
室内には行灯が点されている。パジャマ姿の誉が、枕元にいた。気まずげに、如晶から目を逸らす。雨の中でずっと立っていたせいか、発熱しているらしい。畳の上に新聞紙が敷かれ、氷を浮かした木桶に手拭いがかけられていた。
情景はずいぶん違うか、以谴にも、こんなことがあったと思った。確かごく最近。なるべく思い出さないようにしていたけれど。
「……誉さんが、面倒を見てくださったんですか?」
雨の中でずっと立っていたせいか、喉が錆びたように、声がしわがれてしまっていた。
「お谴が熱を出してるのは俺の責任だからな。女中はもう下がらせてる」



